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血糖値上がる上がる(;’∀’)
こんにちわ(*^^*)雨女しおです☔
今回は父がインスリン治療となるまでのお話です。
せっかく退院してきたものの、自宅に1泊2日、2泊し損ねて、さらに誤嚥性肺炎再発での入院でした。
さらに、血糖値がバーンと500近くまで上がり、その時担当医だった外科の先生に、何を食べさせた!あれほど食べすぎるなと言ったでしょう!自分で食事コントロールできなければ死ぬぞ!!
と、こっぴどく叱られる、親子3人だったのですが、シュン😢としたのは母と私だけで、父は何食べてもいい言ってたやん。血糖は気にするなと言って、以前から飲んでいた糖尿病の薬を止めて、消化剤ばかり処方していたやないか。それをいきなり極端な食事制限をいいだすし、血糖値がこんな爆発的に上がったらこっちの責任かい✋
と、ブチ切れたのです。
まぁね、最初の誤嚥性肺炎からずっと栄養失調だの、食べて元気つけろだの言われてきて、栄養補助飲料を飲むから、食べるなと言われても、食道楽な父には納得のいかない話だったのでしょう。
おそらく、一番納得がいかなかったのは、厳しく言われているわりに、病院食の量が結構あったことだと思います。
私も、さすがにこれを見てからのご飯おちょこ1杯は納得できないだろうな・・・。と思う量でした。
しかし、どんなに揉めてもどんなに騒いでも、血糖値の数値が全てを表しているのだから仕方がない。
高いものは高いのです。
しかも、エレンタール飲むと血糖値が鰻登りなのです(;’∀’)
ゆっくりと少しずつ飲めば急激な血糖値の上昇をを防げるようなのですが、エレンタールってまずいんです。
父のエレンタールを少し飲んでみたことがあるのですが、これを午前中と午後と2回、300cc飲まなくてはならないのかと思うと、父が気の毒で泣けてくるほどまずいんです。
オレンジやらリンゴやら何種類かはフレーバーがあり、好みのもので飲めばいいのですが、それでもなかなかにまずい。
それをゆっくり味わいながら飲めって、それは無理難題ですよ。
で、エレンタールを飲むと口がまずくてお菓子を食べる。
そして血糖値がバーンと上がる。
結局、外科の先生がお手上げとなり、糖尿病の専門医にバトンタッチされたのです。
なぜ壁ドンされながら状況説明
糖尿病の専門医はなかなか面白い先生で、会社帰り父を見舞いに病室に行ったら、先生がいらして状況説明を受ける・・・のだが、なぜか片手壁ドンスタイルで、娘あのな、おとうさんな、とくる。
なぜに壁ドン・・・。
無意識なんだろうねぇ。
先生の話はこれからインスリン治療始めますよ。
今までは血糖値が高いからインスリンを打つ、下がったら様子見るとかだったけれど、朝昼晩定期的にインスリンを打って血糖値をコントロールしていきます。
エレンタールは続けて、食べ物はまぁ、無茶しなければ・・・
あんまり食べすぎるのはだめだけど、そこまで厳しくは・・・。
大丈夫、インスリン治療で安定してきたら良くなりますよ☺
なんででしょうね、途中から先生の話が頭に入ってこないくらい、怒りがこみ上げてきたのです。
なんなん。良くなるって。
こないだまでもうアカンゆうてたやん。
エレンタールを飲むと元気なるゆうたやん。
どの先生も最初はそういうねん。
良くなるって。
ならへんやん。
外科の先生と言い、この先生と言い、最初は軽く見て、治るっていうんやん。
ならへんやないか。
食べろと言ったり、食べるなと言ったり、長くないと言ってみたり、そんなことないと言ってみたり。
どないやねん。
なぜかだんだん腹立ってきた私なのでした。
この先生も父の状態を甘く見ている。と感じた私はこれはダメだ、またうまくいかないという思いが湧いてきて、それがなぜだか猛烈な怒りに転換したのでした。
ま、先生に八つ当たりはしなかったですが、帰宅後母にブーブーと言っていたら、立ち話のネタに母が先生に全部話してしまうという結果になったのでした(>_<)
結果的には、この先生に私たち親子は大変お世話になることとなるのです。
でも、私にとって最初はなぜか怒り爆発、壁ドンやめたれ”(-“”-)”
だったんです。
インスリン治療が始まった!
インスリンって指に針を刺して、ちょこっと血を出して、測定器で血糖値をはかり、数値を記録しておき、お医者様が指定したインスリンを指定したメモリ分打つ。
最初は調整のためにかなりややこしい、複雑なことをしていたようですが、最終的には父が家でも注射しやすい様にインスリンの種類を決め、打つ量を決めることになりました。
父は人に自分を管理されたり、見張られることが大嫌いで、インスリンもすぐに自分で打てるようになり、看護士が見てると
出来る。そんな監視せんでええ!
といって、困らせるのです。
先生には、父の状態が状態だから、手元が狂ったり、勘違いしたら大変なことになるから、ちゃんとインスリンを打つときは見ておくように。と言われていました。
なので、父の看護士さんへの様子を見ながら、これは帰ってからが大変やな・・・と思いながら、父と看護士さんとの攻防を見ていたのでした。