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逃亡を続ける娘。
こんにちわ(*^^*)雨女しおです☔
父の連れて帰れ攻撃に耐えかかねて、ほとんど毎日通い詰めていた病院から足が遠のいてしまったしおなのです。
それでも、行かないと気になるし、寂しいのではないかと罪悪も出てくるのです。
一人では行きたくないから、週末、母が見舞いに行くのに便乗して付いていくのです。
行くと父はたいがい寝ているか、看護士さんの詰め所にいるのです。
なんか、打ち合わせに参加してる風(^_^;)
父は、何もわからずぼんやり座っているだけなのですが・・・。
私たちの顔を見ると看護師さんが寝ていたら起こして車いすに、詰め所にいたらすぐに外に出してきてくれます。
そして、父に刺激を与えるべく、病棟の廊下をうろうろと車いすを押して、散歩するのです。
しばらくすると、疲れたから寝る。といってベッドに移してもらうような日々でした。
転院前の様子に比べたら、随分と症状も落ち着いた代わりに、あまり反応がなくなってしまった感じは否めませんでした。
そんな日々が続き、母が病院に行けない日があり、久しぶりに私一人で父の見舞いに行きました。
父はもう寝てるのと起きているの間をゆらゆらしている感じで、私を見ると「お母さんは?」と聞くのです。
お母さんお出かけやし、今日は私が一人で来たよ。
というと、
ありがとう。もう帰り。
と言うのです。
いやぁ、まだ帰らん。しばらくいる。
というと、「お茶飲みたい。」と。
見るからに私が飲ませるとヤバい感じだったので看護士さんに飲ませてもらうと、やはり水分が喉を通らないのです。
看護士さんが、
「あぁ、喉の筋力が落ちて呑み込めないね。誤嚥性肺炎が心配だから吸引しますね」
そういって、喉の奥に管を差し込んで、吸引をしてくれるのです。
その時、父は苦しそうに体と顔を縮める。
思わず、手を握って、苦しいね。
と言うと、私の手をぎゅっと握りながら吸引に耐える父なのでした。
しばらくして、そろそろ帰るわ。と言うと
もう帰るの?お母さんは?と言うので、
お母さんはまた明日。私は明後日。な?
帰るのか・・・。
うん。帰る。またね。
何となく、後ろ髪惹かれる思いで、帰宅したのでした。
父が呼び寄せた?
帰宅するとき、兄夫婦とすれ違いました。
お見舞い?どしたの?
ちょっとびっくり。
(兄夫婦がお見舞いに来ないわけではないのですが、夕方遅かったのでちょっとびっくり。)
その後、母から電話があり、姉とその子供たちと父のところによって帰るというのです。
なんだか、今日は忙しいなぁ。お父さん嬉しいだろうなぁ。
そんな1日でした。
しかし、その一方で、そろそろ葬儀の準備や下調べを始めなくてはならないな・・・。
とも感じた1日でした。
逃亡娘、うっかり遠出。
父に見舞客が多かった翌日、私は相方さんと付き合いだして初めての遠出をしました。
父のこともあり、あまり遠出をしたことがなかったので、お盆休みに一度出かけよう。となり、車で長浜に出かけたのでした。
父の様子も気にはなっていたのですが、このまま寝たきりになるのかな?
まさか、今日明日ではないだろうという、逃げが私にはあったのかもしれません。
途中、彦根城に寄り、真夏のお城の暑さに辟易したり、長浜で有名な人気の親子丼を食べたりしながら、黒壁スクエアをぶらぶらしていた時でした。
私のスマホが爆音で鳴り響いたのです。
相方さん ⇒ あ、お父さんになんかあった!
私 ⇒ あ、連絡していた葬儀屋さんからの連絡かな?
正解 ⇒ 母。どこいんの? はよ帰っといで。
どうも、父の様子がよろしくなく、家族にそばにいるように病院から連絡が来たとのことでした。
そこから、相方さんは私を落ち着かせ、休憩なしで父の病院まで車を飛ばしてくれました。
ちなみにこの時のことを相方さんは
「あの時、出かけてて良かったの?」
と、今でも聞いてきます。
私は父の命がもう残り少ないことをわかっていながら
それでも、今じゃない。まだ生きていてくれる。
と思い込み、やはり現実から逃避していたのかもしれません。
病院で母に父の様子を聞き、兄や姉が合流し、その家族たちが合流してみんなで父を囲みました。
そして、その夜、母と私は病院に泊まり込み父の傍にいることにしたのです。