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父の転倒
こんにちは雨女☔しおです(*^^*)
父の足がたたなくなったので、我が家に車いすがやってきました。
父は少しですが、自分自身で自由に動けることに喜びを感じていたらしく、ついでになんだか自分の身体も動けるような感覚に陥ってました。
なので、足が立たないのに自分で車いすから立ち上がり、歩こうとして頭から2度ほど転倒してしまいました。
3歩ほどのソファに移動したかっただけなのですが、その3歩が自分で歩けないのです。
それでも自分で動きたい(誰かの手を借りたくない)父は自分でソファに移動しようとして、バランスを崩し、頭から転倒するのです。
そんな時、私と母の反応は全く違います。
二人とも手は貸すのですが、母は怒り、私は慰める。
そして、父はバツが悪いので逆ギレをするのです。
母は家族が風邪をひいたり怪我をすると心配が一周回ってなぜかキレます(^_^;)
なので、常に誰よりも大切に思い、注意を払ている父が、ちょっとしたスキに転倒すると当然、何してんの(# ゚Д゚)となります。
2度目の転倒時、さすがに私は父に、
あのな、自由に動くのは車いす。
お父さんはそれに乗らなければ動けないほど、足腰が弱っているの。
お父さんが動けるようになったわけやない。
2度も頭からこけて、頭打ったんやし病院でちゃんと検査してもらうで。
ええね。
と、問答無用に言い放ちました。
ひどいなぁ・・・。私(^_^;)
最後の入院
頭を打つ転倒を2度もしてしまったので、主治医に相談して体の調子を整えるためと、母の休養のために父は入院することになりました。
しかし、なぜかいつもお世話になっている病院が満床なのです。
1週間はベッドが空かないから、ちょっと待ってほしい。
そういうことで、入院が1週間ほど延びたのです。
しかし、その後数日でまた父の意識が混濁したのです。
起こしても起こしても、目を覚まさない。
母は訪問看護師さんを呼んで、様子を見てもらい、病院に救急車で運んでもらいました。
しかし、やっぱり満床なんです。
このまま家には帰せないし、他の病院んで一旦預かってもらう。
というお医者様に母は全力で抵抗したそうです。
慣れない病院に行くとお父さんおかしくなってしまう。
私が一緒にいますから、透析室でもどこでもこの病院においてください。
絶対にお父さん混乱しておかしくなってしまいますから‼
しかし、それは当然聞き入れられず、最悪なことに父と最も相性の悪い病院に転院することになってしまったのです。
転送された病院に私が駆けつけて、状況を確認しながら母と二人これからのことを話していました。
- もう、退院はないかもしれないこと。
- これ以上、無理に治療をすることは、父を苦しめることになるんじゃないかということ。
- もう、積極的な治療はしないでおこう。
そんなことをぶつくさと話し合っていました。
そして、夜、深夜の通常じゃない待合で、何回二人でお父さんを待ってるんやろ(笑)
と言って、いつも二人で暗澹とした気分になるのでした。
やっぱり父が混乱した!
治療が終わり説明を受けて、父が病室に入るとき、私たちは父になんども、ここがいつもとは違う病院であることを言って聞かせて別れました。
そして入院から2,3日たったころ、病院から父の体に拘束ベルトをして良いか確認の電話がかかってきました。
どうも、夜中に目が覚めて混乱し、点滴を抜いたりベッドから勝手に降りようとしたりと、だいぶ混乱し暴れたようなのです。
母は頭を抱えながら、断れへんわ。とつぶやきました。
拘束されてからの父の混乱はさらに大きくなり、見舞いに来た私たちを見ると
これ(拘束ベルト)はずして。こんなんされるんや。
と訴えるのです。
看護士さんによっては、身内が来たら外してくれるのですが、帰ると再度拘束ベルトを付けられるので、帰るときとても切なかったです。
母の献身、娘の逃避。
相性の悪い病院で(病院はとてもいい病院なのですが)拘束ベルトをされてしまい、大混乱を起こしながら1週間ほどたったころ、やっと元の病院に戻ることができました。
医者には何度目かの余命宣告をされ、認知症だと診断され、人工透析もできうる限りと言われました。
私たちも話し合った通り、機械に繋ぐような延命治療はしないし、もうこれからは積極的な治療よりかは、痛いかゆいを取り除くだけで、穏やかに過ごさせて欲しいと伝えました。
そして、迷惑をかけないがきりはできるだけ、身体の拘束はしないで欲しいと伝え、了承してもらいました。
それでも、身体の拘束をされた父の心の傷はなかなか癒えることはありませんでした。
いつも通り、会社帰りに見舞いに立ち寄ると、父はまず拘束のことを訴え、何かを言った後に、ちょっと家に帰ろう。と言い出したのです。
いやいや、なにゆうてんの?帰れへんわ。
もうちょと、元気になってもらわんと・・・。
と言う私に対し
ほな、外食に連れていけ、ちょっとそこでうどんかなんか食べよう。
と、言い出したのです。
それからは
病院から連れ出せ。
お母さんはどこにいる?
散歩行こう。
ちょっとくらいの外出なんてなんてことない。
動きにくくなった頭をフル回転させて、私に連れて帰らせようとするのです。
認知症の黄昏症候群というようですが、初めてそれに触れてしまった私は、その日以来一人で父の見舞いに行くことができなくなってしまいました。
連れて帰れ。
この言葉は私にとって、どう父と接したらいいのかわからなくなる一言でした。
だって、連れて帰れないのだから。
そこから、私は今までにないほど父から逃げまどいました。
しかし、同じことを言われても母は逃げることなく、毎日毎日父に会いに行くのです。
そして、病院内を車いすを押して一緒に散歩してあげるのです。
母はどんなことでも、どんな時でも、父を受け止めるのです。
ま、暴言を吐かれて、キレてはいましたが、それでも行くのです(^_^;)
昔から、母の献身的な姿は尊敬に値しましたが、今回は私が逃げまどっていたので、両親に対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。