父の一周忌に思うこと。【介護が始まるまで】

  • 2019年8月16日
  • 2020年8月10日
  • 父と娘
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目次

父の病歴。

こんちわ(*^^*)雨女、しおです☔

父が亡くなり一年。

納骨も済んだので父の話を少し。

父は2018年8月14日に亡くなりました。

父は、病弱ではないのですが、本当によく病気をする人でした。

記憶があるのは保育園の年長くらい?もう少し下かな?

母の自転車の後ろに乗せられて近くの病院まで通っていました。

どうも、牡蛎にひどく当たり、入院していたらしいのです。

その次は小学生の5、6年生くらいのころ、胃がんで入院。

京都市内の病院へ母に言われた通り電車に乗って行ったことを覚えています。

あと、手術後の病院食の葛湯。

なぜか、あの葛湯が強烈に目に焼き付いているのです。

一旦、退院するも今度は胃がんの定期健診で慢性肝炎がわかり、かなり長期で入院しました。

肝炎も回復して、しばらくは順調でしたが、ほどなく胆石になり再度開腹手術。

そこから、20年近く入院はなかったのです。

大学生のころ、母に最近お父さん入院せーへんね。と言って苦笑された覚えがあります。

20年ぶりの大病。

しかし、70歳を目前にすい臓がんが発見され、再度開腹手術に。

すい臓を含む複数の内臓の間に水泡のようなガンができており、胃がんで小さくなった胃を、十二指腸を小腸を、胆管を少しづつ切り取る大手術でした。

母はいわゆるすい臓ガンであるため、手術も含め非常に暗澹としていましたが、本人は胃がんで助かった記憶があるため、外科手術で必ず治ると信じていました。

が、胃がんは42歳かそれくらいのころ。

体力も気力もすべてが当時とは違うのです。

そのころ、父は夏になると体調を崩し、その度に体力を大きく削がれていました。

だから、手術が夏であることに私は不安を覚え、今更そんな大きな手術をしなくてもいいのにと感じたことを覚えています。

しかし母と、本人が納得する病院で納得のいく治療を受けることが、一番だと話し合い父の思うようにさせることにしました。

手術は無事終わりましたが、その後が大変でした。

体力も衰え、にわかに辛抱が利かなくなっていた父はなかなか手に負えませんでした。

何とか退院できたものの、術創が化膿して再度入院。

退院後、脱水等を防ぐために2、3日に一度近くの町医者に点滴に通い、体調を整えながら1年ほど小康状態が続いのですが、ある日インフルエンザにかかり杖を持たないと不安なほど足が弱りました。

そして、しばらくして父は死神に取りつかれました。

死神、肺炎との闘い。

ある日、夜中バタンバタンと騒がしい音が聞こえ、様子を見に行ったら、夜中の頻尿でトイレに行きたいが支えがないと立てないと言い出しました。

そのころから急激に立てないとか、何かがうまくできないというのが増えてきていて、母と強い不安を感じ始めていました。

その数日後、外出先から帰ったら、リビングのソファーに古木のように寝転んでいる父の姿。

どうしたん?

自力で立てないらしい。

マジか・・・。

私は翌日、地域包括支援センターに飛び込みました。

そのころ私は、点滴以外、住まいから遠く離れている病院にしか行こうとしない父に不安を感じており、そのことを私自身が通う総合病院でソーシャルワーカーの方に相談をしていました。

そのソーシャルワーカーの方が何かあったらとりあえず飛び込め。と教えてくれていたところだったのです。

対応は早く、翌日の午前中には介護ベッドが運び込まれ、介護認定を受ける手配までしてくれました。

それは視覚的にも感覚的にも、良くなる病気の看護から、見取りの介護に変わった瞬間でした。

一向に良くならない、なんなら悪くなる一方の父の容態。

いろいろ悩んではいたものの地元で点滴をしながら様子を見てくれていた町医者の先生が、とにかく手術をした病院へ連れていけ、早く!とのことで、京都市内の病院へ連れて行きました。

そこで、下された診断が誤嚥性肺炎。

誤嚥性肺炎って・・・何?

私は誤嚥性肺炎というものを知らなかったのです。

そう、誤嚥性肺炎お年寄りが最後にかかりやすい肺炎、あれです。

死相すら出ていた父の顔。

入院が決まり、すぐに点滴が始まると、どんどん生気を取り戻していく父。

しかし、兄は医者から、いつ何が起きてもおかしくありませんよ。と告げられました。

これが初めての余命宣告1回目。

母と兄と話し合い、姉に確認を取り、機械に繋ぐような延命はしないと決め、医者に伝えました。

しかし、予想に反しどんどこ良くなる父。

そして何とか退院もし、要介護認定も受け、訪問看護も来てもらう手はずを整えました。

それともう一つ。

父のかかっていた病院は全て京都市内の病院ばかりで、私たちが住む町からは遠い場所にあり、かかりつけの病院をすべて近くの病院へ変更してもらわねばなりませんでした。

父は京都市内の病院の信者と言ってよいほどで、車で小一時間かけて兄弟で手分けして連れて行っていました。

住まいの近くには3つの総合病院があり、一つは私が耳鼻科で通院する病院ですが、そこはどうしても車がなくてはならず、母が見舞いに行くことが不可能なので却下。

もう一つは、昔っから父とかなり相性が悪い病院なので名前も出せません・・・。

最後に家から一駅、駅から歩いて3分のところにある病院。

病院としてもあちこちで総合病院を運営している名の通ったところを、ここにしない?ここなら元気になったら一人で通えるよ。もっと元気になったら、自慢の電動機付き自転車で通えるよ。

と、口説く私・・・。

それでも、もそもそ言っている父に、医者が一言。

お住まいの地域から、うちには救急車で搬送されませんよ。

市が違いますから、ルール上それは絶対にないですよ。

父、うなだれる・・・。そして、納得。

病院を変わることが決定したのです。

 

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