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両親に挟まれて過ごす病室。
父が危篤となり今晩が山と言われ、病院には私と母が泊まり込むことになりました。
個室に移してもらい、簡易ベッドを1つ入れてもらい、母と交代でベッドを使い、一人は父の真横で椅子を並べて横になりました。
私は、ウトウトして寝てしまっている間に父がいなくなるのが怖くて父に手をずっと握ったまま椅子で寝ていました。
父の右手には人工透析用のシャントがあり、トックトックと脈打ちシャーと音がするのです。
昨日もずっと手を握っていたし、具合が悪くなってからはよく足を揉んでいて入院すると父の身体に触れることが多くなるように感じるのです。
私は子供のころからこりのひどかった父の肩や腰、背中など体中のマッサージをしていました。
だから、病気で顔が変わってしまった父の手を握ると、ものすごく強く父の存在を感じるのです。
でも、それもあと少し。もうすぐ父は逝ってしまう。
その時、側にいて気が付かないとか、一人ぼっちにするとかありえない。
最後、絶対に側にいる。見届ける。
そう決めていました。
相方さんと遠出してたくせにね。
最後の方は一人でお見舞いにも行けなかったくせにね。
母と変わりばんこで簡易ベッドや椅子で父と最後の夜を過ごしました。
私は末っ子なので両親と過ごす年月は兄弟の中で一番少ないですが、親子三人で過ごした時間は兄弟の中で一番長いのです。
兄や姉がどうこうというのではなく、これはしつこく嫁にも行かず、独立もせず両親に甘えっぱなしで、ちゃらんぽらんに生きてきた私が、今できる最後の親孝行なのだと思っていました。
最後の朝が来た
朝早く、姉が病室に来てくれ、私にとりあえず帰ってシャワーを浴びてご飯を食べてくるように促してくれました。
昨日滝のように汗をかきながらあちこち観光をして、汗でベトベト、歯も磨いてないし、着替えももちろんしていないのです。
ダッシュでコンビニで朝食を買い、今日明日が怒涛の流れになるであろうことを予測して車にガソリンを入れ、家に帰ってシャワーを浴び朝食を食べながら家の中のことをざっと整えて再び病院へ向かいました。
私が不在の間に担当のお医者様がいらして、今日半日もつかどうか。と言われたことを姉から聞きました。
あ、今日はいとこちゃんの誕生日やん・・・。
急にそのことを思い出し、父に
ちょっと、今日はいとこちゃんの誕生日だから、今日はまずくない?
ねぇ、もうちょっと頑張らへん?
父に最後のおねだりをしてみました。
聞いてはもらえなかったですが。
そうこうしているうちに、兄が到着。
もともとの5人家族が何年かぶりにそろいました。
4人で父を取り囲み、手や足をさすり、だんだん息が荒く途切れがちになる父を見守りました。
お父さん、お父さん
私たちは何度もそう呼びかけ感謝を伝え、もう少し一緒に居たいと無理なおねだりをし最後の時を迎えました。
スースーと言う呼吸音がなくなり心電図が反応しなくなり、父の手が驚くほど白くなっていきました。
でも、まだ父は逝けません。
遠い父の故郷から、父が心から敬愛している叔母が到着していないのです。
そして、一番長く一緒に過ごし手元で可愛がった末の孫(姉の息子)
跡取りと可愛がった一番目の孫(兄の長男)
男前が自慢だった2番目の孫(兄の次男)
紅一点の孫(姉の長女)
が父の側にいないのです。
病院からは、それらの人たちが集まるまで死亡宣告はしませんから、集まって気が済んだら呼んでくださいと言われました。
トラウマになったらどうしよう(>_<)
最初に到着したのは、姉の下の息子でした。
父が定年になるころに生まれ、姉の夫さんが東京に単身赴任となってからは、口うるさい女どもに囲まれて、男二人肩を寄せ合うように仲良く、野球をみたり蝉取りに行ったり、とにかく父はその子を可愛がりました。
それが、姉の夫さんの実家に遊びに行っていて急遽帰ってきたら、父が動かないのです。
お、お、お、おじいちゃーん💦
わーん💦わーん💦
起きて!おじいちゃーん💦
へ?えぇ?
私、子供とはいえ人間があれほど号泣するのを初めてみました👀
え?え?ちょっと大丈夫かな?
このご時世、子供が人の死に触れることは少ないので、ちょっと刺激強すぎたのかな?え?
というくらいの号泣でした。
私は、覚悟もしていたし、この後のお葬式やなんかの段取りが頭にあり涙も出したかな?くらいでしたが、それでも泣いていられないだけで、泣けるものなら泣きたかったですが、その涙もスーと引くほどな号泣っぷりなのです。
部屋から連れ出し、談話室で号泣する甥っ子を見て、姉がぼそりと
トラウマなったらどないしよ・・・
と、つぶやいていました。
結果的にはその後続々集まってきた、甥っ子たち(兄の子供たち)とキャッキャ言ってましたので、トラウマにはならなかった模様・・・。
(しかし、父の顔を見たらスイッチが入ったように号泣してました・・・💦)
父を家に連れて帰ろう。
父が最後の入院をしたころから決めていたことがありました。
亡くなったら、葬儀まで一旦家に連れて帰ろう。
ということでした。
家に帰りたい。母の側にいたい。
そう願った父を半日でも連れて帰ろうと思っていました。
父の故郷から叔母が到着して、先生に死亡宣告をしてもらい、病院でエンゼルケアをしてもらっている間に、葬儀場を決めなければいけませんでした。
少し前から下調べをしてはいましたが、気持ちの乗る作業でもなく資料をもらう程度でした。
母や兄弟と話し合い葬儀場を決め、一旦父を家に連れ帰りました。
帰り際、母が病院の看護士さんやらいろんな人に、
お母さん、残念だったね。でも、よく頑張ったね。
と、声をかけていただいているのを見ると、何度も何度もこの病院に入院した父のお見舞いを、毎日欠かさなかった母の献身ぶりに泣けてくるのでした。