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父が退院してきたぞー
こんにちわ(*^^*)雨女しおです☔
前回に引き続き父の話。
ちょっとは供養になるんかな(*_*)
誤嚥性肺炎を患った父が退院するにあたり強く要望したものの一つにポータブルトイレがありました。
もともと年齢的に頻尿に悩んでいた父が、思うようにすぐ立ち上がれなくなり、部屋からトイレまでの10歩ほどの距離我慢できないと言うのです。
誤嚥性肺炎で入院した時も個室!ポータブルトイレ!と主張し続け、母と顔を見合わせ暗澹とした気分になりました。
退院する時点で要介護2の判定が出ていたため、介護保険の範囲であれこれ支援してもらえることにはなっていたのですが、ポータブルトイレか・・・。
なんとか、トイレまで行けないものか。
母も私も、兄弟たちも、看護師たちも自らポータブルトイレを望む人は珍しいと感じていましたが、父はポータブルトイレがすぐに用意できないならベッドサイドにたらいかバケツを置け。そこでする。という始末。
それほど、夜間のトイレが辛かったのだと思います。
仕方なし、買いましたよ。ポータブルトイレ。
退院後は病室と同じように部屋をあつらえるように言われていたので介護ベッド(レンタル、搬入済み)ベッドサイドテーブル(病室と同じもの、レンタル可)ポータブルトイレ(これは衛生上買取)。
そして、父の部屋となる我が家の病室にはテレビを配置、電気もリモコンに、ボタン一つで家中に響き渡るナースコール的なベルが設置されめでたく退院してきました。
でもね、いつもどんな病気の時もそうなんですが、退院の日、父はいつもしんどそうなのです。つらそうなのです。
父の介護チーム始動!
退院するにあたり、私が父に厳命したのが訪問看護を受けることでした。
週1日でもいいから、必ず来てもらいます。
様子見てもらいます。
ええね?
お風呂も母と二人の時は入らないでください。
今のお父さんにはお風呂は危険です。
ええね?お父さん。
父 はい・・・。
結果的にはこの訪問看護師さんに来てもらうということは、私たちの家にとって非常に心強く、何よりも頼りになる存在となりました。
私、最初に訪問看護師の話を地域包括センターの方から聞いた時、絶対に来てもらおうと心に誓いましたもの。
少しでも家に医療関係者が入ることにより、家の中の風通しを良くしておきたかったことと、母や私の言うことには懐疑的でも看護師さんのアドバイスなら素直に受け入れるのではないかという魂胆も私にはあったのです。
担当のケアマネージャーさんには訪問看護師さんにしっかり頼ったらいいですよ。といわれていたが、後日、まさか本当にべったりと頼る日々になるとは想像もしなかったです。
ケアマネージャーさん、訪問看護師さん、介護器具担当の営業マンさんで父の介護チームが出来上がり、始動し始めました。
が、しかし、主役の父がどうしようもなかったのです。
父が執着するもの
退院する日しんどいくせに、病院食を嫌悪する父は帰りに外食したがるのです。
話すことと言えば、あれ食べたいこれ食べたい。
ビール飲みたい。
(心のつぶやき・・・タバコ吸いたい。でも、今娘の前で言ったらめっちゃキレられる・・・。)
父はもともとかなり食にこだわりのある人で、好きなものはしょっちゅう食卓に並ぶため、私はその影響でいくつかの食べ物を見ると嫌いではないけれど、どうしても手が伸びません(>_<)
身体がしんどいと嘆くのに食とビールには執着するもので、以後これに悩まされ続ける日々でした。
誤嚥性肺炎になったとき、食事ができない日々が続いていて、お医者様に体の状態が栄養失調と言われたことが、あまりにもショックだったようで、食べなくては、栄養を付けて良くならなければ。と、あれこれ食べ物に激しく執着しだしたのです。
食べることのみならず、ビールも飲みたくてしかたないのです。
弱っている身体によく冷えたビールをぐいーっと🍺
見てる方が怖い(>_<)
たぶんね、この記事を読んでる方、思われると思うのです。
止めなさいよ。止めさせなさいよ。って。
でもね、出来ないんです。
言っても聞かない。
ビールを買わないという強硬手段に出たら、キレる。
出すまで騒ぐ。
ある意味、元気やん( `ー´)ノ
もう、どうしようもなかったです
また、父は数年前から体中がかゆくなる原因不明の皮膚病もあり、どうしようもなくなると看護師さんをまたずに一人でもお風呂に入ってしまうのです。
一度は母と私が寝静まった後に一人でのたりのたりと入っているのを、私たちが気づいて騒いだので、えらくうるさがられたりもしました。
外食好きで、通院の帰りなどには必ず連れていけというので、連れて行くと、そこで昼からビールを飲む((+_+))
母と姉が付き添って外食した時は調子も悪かったらしく、途中で歩くどころか立っていられなくなり連れ帰るのに大変苦労したらしいのです。
介護する方はあれこれ心配して父の行動を制限しようとするのですが、父からしてみれば、こんなにつらいのに、好きなものくらい食べさせろ!ビールくらい飲ませろ!
という気分だったのでしょう。
なので、兄などは様子を見て車であちこち連れていき、好きなものを食べさせ!ビールを飲ませ!なんと、タバコまで吸わせてました・・・。
よく、これを我慢してちょっと寿命が延びるくらいなら、もう老い先短いのだから、好きにさせてやれっておっしゃる方いますが、まぁ、実際それで機嫌よく体調もいいなら何も言いませんし介護ってある意味楽かもしれません。
でもね、父の場合好き放題が必ず体調不良に直結するのです。
原因が、それかはわからないけれど、(お医者様もそう言う。)でも、誰よりも長くそばで様子を見ている母がそう言うのだから私は直結していたと思います。
その体調不良を一身に背負って後始末をするのは母なのです。
私なんか出る幕なかったですよ。
そんなすったもんだの自宅介護の日々は長くは続きませんでした。
そこから約半年、入退院を繰り返し始めるのです。
2017年の約8割近く、父は病院で過ごすことになりました。