父、透析の日々【ゆっくりと確実に動かなくなる身体】

  • 2019年9月25日
  • 2020年8月10日
  • 父と娘
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目次

父の多忙な毎日

こんにちわ(*^^*)雨女しおです☔

人工透析となった父が退院してきたのですが、父の毎日はなかなか忙しいのです。

火曜日・木曜日・土曜日の朝から昼過ぎまで人工透析。

週2回の訪問介護士さんがきて、週に1回リハビリ技師さんがきて、マッサージ専門の介護の方が来て・・・。

退院してからの方が、父は忙しいのです。

母と娘のたくらみは、父がそこそこ元気になったら、透析の時間は自由だ❕

掃除も買い物も、ちょっとした外出なら透析の間にできる❕

元気になるんだから❕

が、しかし現実はそう甘くなかったのです。

まず、透析の送り迎え。

最初の数回、様子見て行くだけは一人で病院に行ってもらおうとたくらんでいました。

なんせ、病院からの送迎バスが家の前まで来てくれるのです。

要領さえ掴めたら、行けんじゃね?と思っていました。

さすがに透析終わりはとてもしんどいらしいので、付き添うとしても朝の8時半ごろから昼の13時半ごろまで時間があるのは、母としても、しめた❕と思ったらしいです。

なんせ、人工透析したら元気になるのですから。

今までのように気をはって、見守りをしなくてもいい、父も私たちも少し距離を保つ時間が取れるのではないかと思ったのです。

が、父が一人で病院に行くことは最後までありませんでした。

父の自宅療養は半年ほど続くのですが、その間ほぼ全て母が送迎に付き合いました。

母のリフレッシュ大作戦!

毎日、父が家にいる。

当然なのですが、いるんです。

人工透析の送迎、エレンタールを飲ませる準備、リハビリの先生やマッサージの先生、訪問看護師さんを迎える準備、そして食事の用意。

食い道楽な父があれこれ言うリクエストに母は一生懸命応えていました。

お昼13時30分ごろに終わる透析に合わせて、病院で食べるお弁当を週3日作ってそれをもって迎えに行っていました。

そんな母のリフレッシュは夜の散歩でした。

昔から仲良くしてくれていた近所のお友達と、夜ウォーキングに出かけるのです。

母は、50年近い主婦歴の中で、ご近所に素晴らしいお友達ネットワークを作り上げ、やれボランティアだ、コーラスだ、卓球だと忙しくしていたのですが、父の介護が始まってからそのほとんどに参加できずストレスを溜めていました。

私もそのころ少し帰宅拒否症気味だったので、母がウォーキングに行くぎりぎりで仕事から帰り、父の様子を見ていました。

ダメな娘だな・・・申し訳ないな・・・と思いつつも家に帰る足取りが重い毎日でした。

実際父も、私ではなくて母にそばにいてほしい、面倒を見てほしい様子でしたが、一日一緒にいるのだから、そこは納得しているようでした。

私は平日お休みの日や、土曜日の休みの日に(私は土日も仕事があったため、たまに平日休みがあったのです。)透析の送迎を代わったりしていましたが、何のかんのと私のやりたいことを優先させてはくれていました。

なので、私はこのウォーキングだけは何としても行ってもらうようにしていました。

1日のうちの1時間から1時間半程度の時間、父から離れ親友に自分の心情を話すだけでも母にとっては何よりも大切な時間であるようでした。

ちなみに、このウォーキングは今でも続いてます(*^^*)

ゆっくりと確実に動けなくなる父。

なんのかんの言いながらも、周りの人たちに支えられながら、私たち家族は、は父を見守り介護しました。

しかし、父の身体はやはりどうしても回復はせず、ゆっくりとしかし確実に衰えてゆきました。

まず、身体が思うように動かせないため一人で着替えられない、着替えたくとも、途中でどうしようもなくなってしまったり、話をしていてもろれつが回りにくく話の内容は滅裂になったりしだしました。

何よりも、少しずつ歩けなくなってきたのです。

足がだんだんと上がらなくなり、歩いていてもすり足で歩くようになりました。

ある日、母がウォーキングに出ている間、私と父は2人で大好きな大河ドラマ「西郷どん」を観ていました。

父はソファに腰かけて観ていたのですが、放送が終わり自室に引き上げようと立ち上がり、歩こうとしたら、足がうまく動かない。

私は、すぐに手を貸すよりかは、自分で動けるならそこは頑張った方がいいと思ったので、様子を見ていました。

ちょっとして、ふと父が

しおちゃん、手貸して。

と言いました。

私は、自室のベッドまで、3メートルほどの距離を父の両手をもって付き添いながら歩きました。

悪いな。

父はそう言ってベッドに座り込みました。

足がうまいこと動けへんかったな。

そう言って、私は部屋を出ました。

父は家の中でさえ、一人で歩けないことに少し戸惑い、悲しみ、絶望した様子でした。

車いすが来た!

思うように足が動かなくなった父を、母は椅子に座らせてエイ!!っと椅子ごとリビングを滑らせて動かしていました(^_^;)

はじめてみた時はさすがに私も驚きましたが、父も母も子供のように笑っているので、まぁいいかと思っていたのですが、訪問看護師さんに

車いす手配しましょう(*^^*)

といわれ、すぐに車いすが家にやってきたのです。

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