目次
お葬式!
こんにちわ(*^^*)雨女しおです☔
とうとう父が亡くなり、お葬式を出すために、今まで集めてきたパンフレットを母、兄、姉の前に広げました。
早く決めないと、病院から父を連れ出すことができないのです。
場所や母の地元ネットワーク情報(母の地元ネットワーク情報は地味にすごい)等々を駆使して3分で決定。
すぐに葬儀場に電話して父と家に帰りました。
母と私たち兄弟、その家族たち、そして叔母。
父の家族が集まって、ワイワイガヤガヤ😄
葬儀会社との打ち合わせをしながら、生きている間に葬儀会社を決めておかないと高いねぇ・・・なんて思いながら日程や規模を決め、晩御飯に突入。
ホットプレートで焼きそば作ってちゃっちゃと食べなさい!
と母が叫び、みんなでわいわい焼きそばを作りました。
まさに、父を中心にみんなが集まり、父が健在のころのように食事をしました。
父が逝ってしまった、これからお葬式だという、なんだか変な高揚感や緊張もあったのですが、それよりも家に帰ってきたかった父を囲みお帰りなさい、お疲れさま、とりあえずは楽しくご飯食べましょう。っていうご飯でした。
みんなが帰り、母と叔母と3人で父と過ごしました。
そして、夜、寝るときに私は母に
お父さんと寂しくないかな?一緒に寝ーへん?
父のいる和室の扉を開け、リビングの扉を開けて、母と二人リビングに布団を敷いて寝ることにしました。
危篤になって一晩、お葬式までに二晩、そしてお通夜から告別式までの一晩を葬儀場に兄姉+跡取り一人の4人で過ごしたので、4日間べったり父の側にいた私なのです。
父の顔が見れない
ところで、父はかなりの食い道楽だったのですが、なくなる数年前から体つきが、骨と皮のようにやせ細っていました。
あんなに食べることが好きで、糖尿病や腎臓病に侵され、食事制限、水分制限、カリウム制限、カロリー制限(食事制限とかぶる?)があっても
食べたいものは食べる!
ひと口でも食べる!
口が寂しくなっても食べる!
そんな父であったのに、本当に何も食べれなくなって亡くなりました。
なので、骨と皮だけの父の顔は私の知っている父の顔ではありませんでした。
まさに、誰?
って感じで、どうしても顔が見れないのです。
子供たちや兄姉たちはハンカチをどけて顔をみて話しかけるですが、私にはできませんでした。
それよりも、起き上がって、しおちゃんビール🍺
とか言ってきたら怖い😱
と思っていました。
エンゼルケアしてもらって穏やかな顔をしていても、口がぱっくりあいたままで、あごが上がっている顔はなんとも苦しそうで、正視できないのです。
父の手と足
あまり父の顔を見ないまま、亡くなって2日目に父を葬儀場へ送り出しました。
よし、明るく送ってあげよう!
そう決めて、笑顔で車に手を振り、母や兄姉と打ち合わせを繰り返し、みんなで葬儀場へゆき、父の湯灌に立ち会いました。
そう、あの「おくりびと」のあれです。
係りの方が2人がかりで父を湯灌してくれました。
その時に、手や足が見えたのです。
私は幼いころから、兄姉よりも父の肩や腰、足のマッサージをしてお小遣いを稼いでいました。
具合が悪くなってからも、足をなでたり、父の手を握ったりしていました。
なので、真っ白になってしまってはいるけれど、父の手や足の形の方が今の父の顔よりも父親を感じるのです。
ねぇ、お母さん、顔よりも手と足の方がお父さんやね。
そう、母につぶやくと
ほんまやなぁ。顔は変わってしまったけど、手と足は変わらへんね。
そう言いながら、湯灌を見守りました。
そして、湯灌が終わり棺に納められた父を見ても、やっぱり父の顔じゃない・・・。
口も閉じてもらったけど、生前塗ったこともない、ファンデーションやチーク、リップを塗ってもらっても、やはり父ではないのです。
穏やかな顔はしていましたけどね。
父の生きざまを垣間見る
なんだかんだで、ついにお通夜、お葬式が始まりました。
父はいろんなことろで、いろんな人にお節介を焼き、あれこれ仕切るのが生きがいのような人でした。
ありがたいことに、その生前の父のお節介が影響したのか、家族葬とはいえ、たくさんの父の知人友人がお参りに来てくださりました。
祭壇にあふれかえるほどのお花のお供えをいただきました。
身体が悪いのに、奥様に支えられながらお参りに来てくださる方がいました。
父が命を削って、魂を込めてみんなに尽くしてきたことが全て正解だったんだと、その光景をみて改めて感じることができました。
親せきもみんな気持ちよく集まってくれて、手伝ってくれて、気持ちよくお葬式を出すことができました。
父の生前の生きざまを垣間見るそんなお通夜と、お葬式でした。
最後に
ブログを始める時、父のことは書こうと思っていました。
こんなに長々と書くとは思わなかったですが・・・。
介護の話って、どなたの話を聞いても自分には当てはまらないし、共感できない私なのですが、とにかく誰かに聞いて欲しいというのはとても分かります。
それほど、介護ってしんどいんです。
父の生前、私の愚痴を親身にそして暖かく聞いてくださった、私の友人に心から感謝しています。
この一連の父の記事を誰かが読んで、この人もこの人なりに大変やったんやな。自分には当てはまらないけど、まぁ、いろいろ頑張らはったんやな。って思ってもらえると嬉しいです。
とりあえず、ファザコン娘の介護記録でした(*^^*)